ここ最近、書くたびに長文化しているこのブログ。

ちょうど今日、「ネットで調べて来てみたよ」というお客さんがいらっしゃいました。
このブログも読んでくれているらしく、「オーロラの話も読んだよ」と。


『この話の続きや裏話は店で聞いてね』と始めたくせに、全く話を広げられず…



いや、そらもう嬉しいんですけどね。
なんていうか、面と向かって言われると何とも恥ずかしく…



改めて読んでいただいてるみなさん、本当にありがとうございます。
でも、「読んでるよ」と言われ慣れるまで、もう少し時間をください。



そして今回も長くなりました。

覚悟して読み始めてください。



それでは、オーロラ編第三部、はじまります。


今まで持っていなかった感情が溢れた夜

モルディブでの契約を終え、日本に帰国した直後。
物置と化していた実家の自分の部屋で、珍しくテレビの電源を入れた。

何を見るわけでもなく、何かをしながら流れてくる音を聞いていると、
聴き慣れたテーマ曲、そして聴き慣れた声のナレーションが始まった。


たった2分と少しの番組。
その日はスイスだったと記憶している。


30歳を過ぎ、20代のときのように、時間が自由な旅は限らてくるとは感じていた。

もちろん、その場所に『行こうと思えば』いつでも行ける。
だが行きたいところは、まだまだたくさん。


『あれ?俺、死ぬまでにスイスに辿りつかれへんかも…』


ある種の恐怖だったと思う。


そして次に思い浮かんだこと。


『オーロラを見たいと言っていたおかんは、このまま見れずに死んでしまうのか?』


だった。

まだ間に合う、だが時間は確実に少なくなっていく

『誰かと一緒』ということで悩んだ挙句

もちろんカナダやフィンランドなど直行便のある国には、パッケージプランも多かった。
だが、ほとんどがオーロラを見るためだけのプラン。


『どうせなら他の都市や場所も行きたいやん』と、いつもの悪い癖が出た主。
いつの間にか、オーロラよりそっちがメインになり始めていたのだが…


いくつかの候補から選んだのは、北欧ノルウェー。


全行程10日間。
3日間オーロラのチャンスがある町に滞在、その後に列車と船で移動していくことに。


やっぱり後のほうがメインとした日割りである。


いや、だって見たかったんですもん。


フィヨルド…


北極圏の町、トロムセー
港町ということで、思いの外栄えていた

長い移動時間を気遣う息子の横で、爆睡する母親

機内で起きた、被害者1名のみのテロに屈することなくオスロへ。
そこで一泊して翌日、国内線でトロムセーという町まで。


チェックインした部屋はダブルベッドが1つだけしかなかった。
「2ベッドで予約してたんやけど?」と聞くと、「セパレートです」と。


どこかで聞いた話である。


問題は、2つくっつけて並べられたベッドの上。
1枚のダブルのマットレスと、1枚のダブルの掛布団。


「別に私はええで」と、直前まで仕事が忙しかったために、早速横になる母親。
齢30を超えて、母親と一緒の布団に寝ることになるとは思いもしなかった息子。


そら親は気にしないですよね。
ちっちゃい頃はいつも一緒やってんから。


街中で見つけた看板、行かないワケがない。



「オーロラは夜やから、今は寝とけ」と言って、散歩に行こうとする息子。
「それなら私も」とついてくる母親。


「頼むからこっちでは啜らんといてくれよ」と忠告する息子。
「わかった」と言った直後、一口目からパスタを啜って音を出す母親。


「北極圏に来た証明書もらえるらしいで」と、せっかくならとお願いする親子。
めんどくさそうに、”日本人らしい”アルファベットで証明書に名前を書くおばちゃん。



そして、この旅のためにと使い始めたカメラで、こっそり後姿を入れて撮っていた母親。
それに気づかないわけもなく、だが拒否することもしなかった息子。


「あそこまで登りたい」と言われたが、流石にスニーカーではどうにも。
スキーを履いて犬と散歩する女性が羨ましかったのであろう。

不思議なことに、見れるなら初日だと思っていた

疲れているだろうと思い、「出たら呼びにくるから」と母親を部屋で寝かせていた。

しかし、これが大きな間違いだった。


レストラン横のソファで、ホテルが用意してくれたコーヒーを飲みながら、
ちょいちょい外に出ては夜空を見上げる。

同じようにオーロラを待つ、ドイツから来たという新婚夫婦と話をすると、
「3泊の予定で来たがまだ見れていない、今夜がラストチャンスだ」と言っていた。


時期は4月、オーロラを見るには少し遅い時期。
南の空は暗くなることもなく、一晩中明るかった。


オーロラは年中出ているらしいが、白夜になる時期は見ることが難しい。



外と中、そして部屋を何度か往復していたのだが、
あるタイミングで、腰掛けた部屋のソファで少し寝てしまっていたようだった。

時間にしておそらく30分ほど。


少し気持ちも折れていたのだが、せっかくだからともう一度外へ出ると…



出てる!

しかも遠くの空で緑が多かったカナダのそれとは違い、
範囲は小さいながらも頭上で赤白く輝いている。


急いで部屋に戻り、軽くいびきをかいて寝ている母親を起こす。
「おかん、出たぞ!急いでこい!」と。



ここでもう一つの失敗を犯す。

さっきまでオーロラを待っていたのは、目の前が港の開けた通り。
だが「少しでも暗い場所へ」と考えた主は、町外れの丘へ向かうために逆方向へ。


ホテルを出た直後、建物の間から見える夜空には確実に輝いていた。
もちろん、指を差して母親にも伝えていた。

「もっと見やすいところへ!」と、丘を目指し進んでいく。
必死についてくる母親に、その道中でも「あれやで」と見せながら。


だが残念なことに、だんだん薄れていった光は丘へ着く前に消えてしまった。


凍った湖がある丘、ここならと考えていた。

焦りが産んだ失策

光が消え、歩を止めた親子。

「とりあえずは見れてよかったな」と声をかけると、一言だけ返ってきた。



「わからんかった…」



めっちゃ出てたし、見とったやん!とは思ったが、母親の姿を見て気づく。


息を切らしている。
上着のジッパーは開いたまま。
手袋も手に握っていた。


焦ってしまい、道中ずっとジッパーを閉めるのに必死だった母親。
また、消える前にと焦り、その様子に気づかなかった息子。



そしてなにより、歩くのも走るのも速く、いつも息子を急かしていた母親は、
大人になった息子の進むスピードに、ついていくのが必死だった。


息子にとってはこっちが本命。
列車と船を乗り継ぎフィヨルドへ。

リベンジの場所はアイスランド、時期は未定

不思議な予感は当たるもので、三夜滞在した中で見ることのできたのはこの夜だけ。

オスロに戻り、親同士も子同士も幼なじみという珍しい関係の親子と合流後、西へ。
ベルゲンという港町まで、フィヨルドを目指して出発した。


—–

宿にいたドイツ人夫婦も、「最終日でやっと見れた」と話をしてたので詳しく聞くと、
どうやら主が部屋に戻ったタイミングで出現したのだが、主はそれに気づかずに寝落ちしてしまったみたいです。


結局『母親が死ぬ前にオーロラを見せる』という、ほとんど忘れていた当初の目的は達成できずでした。



ちょうど同じとき。

モルディブで一緒だったマネジャー夫婦がアイスランドに旅行に行っており、
オーロラという目的も同じだったので、連絡をとっていました。

あちらでもオーロラを見る事ができた上、氷河やら温泉やら楽しんだそうで。


帰りの飛行機で、「次回はアイルランド行くか」という息子に対して、
「私はオーロラのためだけの滞在でも、全然退屈せんと思うよ」と言った母親。



これが2016年の4月のお話。
いつぶりかも覚えていない、母子二人旅。


今年こそはと思いながらすでにあれから4年、まだこの話は完結できていません。

至る所で見るトロール。
もうちょっとこう、なんとかならんのか?