したかったこと、なりたかったもの。
その同じものに向かって進んでいる人の話を聞くとき、どんな気持ちになりますか?
もちろん、今の道も自分が選んだもの。
どっちが良いというものではないのはわかっている。
また、そのチャンスが無くなったわけではないことも。
だけど話を聞くと明らかに無言になってしまい、顔が引き攣ってしまう感じ。
嫉妬というかなんというか…悔しいんやと思います。
「やりたいことは全部やったらええやん」
「今は無理でも、そのうち行ったらええやん」
そう思い始めたのが、おそらくこのカナダの旅中。
「あれ、俺ここには行かんのかも」と思ってしまい愕然とした10年後。
そして、その思いがキッカケで行くこととなった北欧。
なんやかんや言いながらも、やりたい事を死ぬそのときまで続けたい。
『死ぬまで健康』
ここ20年変わってない目標です。
日記を見つけた結果…
なんかよくわからない始まり方になりましたが。
先日実家に帰る用事ができたため、前々回話をしていた日記を持ってきました。
とりあえず開いてみたものの、「こんな書いてたんか!」と自分でも驚いています。
そら、この旅の情報をまとめてブログを書くつもりだったんですもんね。
今では絶対に使おうとしないような文面。
ベッドに横になり書いた、読めない文字。
結論としては。
こんなん書いてられません。
いつになっても本題に入れません。
ということで、旅を始めて1ヶ月後まで一気に飛ばします。
その道中は、ネタを見つけたまたそのときにしますね。
ハリファックスは不便やから、ホワイトホースに行く…?
2005年12月5日
カナダ東部の都市、ケベック・シティのホテルにて
トロントから旅を共にしていた日本人が、「この先ハリファックスまで行こうと思う」ということで、バス停にて時刻表をもらってきた。
主の持つチケットでも乗車はできたのだが、到着が夕方と夜の2便のみ。
だったらホワイトホースに行って、オーロラ見ようかなって。
23歳になったばかりの主は、日記にこう書いている。
意味がわからん。
ケベック・シティがどこか。
ハリファックスはどこか。
そして、ホワイトホースはどこか。
何故その決断となったのかは覚えていない。
まあなんとなく想像はつくのだが…
これが、今回の本題。
下調べなんかせず、情報なんか何もない。
「オーロラがみれるホワイトホースって町がある」と知り、
持っているチケットで行くことができた、それだけ。
「絶対見れるわけじゃない」のはもちろん知っていた。
でも、「行けば見れる」と思った。
だからこそ、「オーロラに呼ばれてた」という発言をしたのだと思う。
西へ、そして北へ
ホワイトホースへのバスは、エドモントンかバンクーバーが始発だったと記憶している。
ケベック・シティにいた主は、列車で首都オタワ。
そしてスケジュールの都合上、ネットで手配したフライトでエドモントンへ。
スーパーで3斤の食パンと、ツナ・コーン・ターキーのハムを買い込み、30時間のバスのに向けてサンドイッチを仕込む。
22:30頃にホステルを出発、40分ほどかけてバスターミナルに到着。
そして12月12日の0時15分発、ホワイトホース行きのバスに乗り込んだ。
到着予定は30時間後。
流れる景色を必ず毎晩見ている、こともなくただ揺られる
30時間バスで移動する。
それだけを聞くと「辛いしんどい苦しい」と感じるだろう。
だが、そこは広大なカナダ全土を網羅するバス。
2時間おきに小休止があり、
朝昼晩のご飯時には、値段の高いカフェ併設のバス停で1時間弱の休憩を取ってくれる。
日中の車内ではちっちゃくてよく見えないブラウン管テレビで、
すでに何度も乗っている人にとっては見飽きた映画を流してくれる。
さらに、こういった地方への路線ではそれほど乗客も多くなく、
狭く窮屈な二人がけの座席を、贅沢に一人で使える。
小柄な人なら、横になることも可能だろう。
水分がなくパサパサになったサンドイッチを頬張り、
ひたすらiPodで音楽を聞きながら、寝れるときは寝る。
そうするうち、停まる場所周辺の景色も変わってきた。
あるのはレストラン、宿泊施設、休憩所を兼ねたログハウスだけ。
周りは針葉樹林に囲まれ、それまであった雪がほとんど積もっていない。
『北極圏』
このあたりはカナダの中でも降水量が特に少ないらしい。
ホワイトホースに近づいてきた証拠だった。
気温-24℃。ありったけの服を着込む
早朝にホワイトホースに到着。
バス停近く、というより町でおそらくその時間唯一開いているドーナツ屋で朝を待つ。
バスで到着した旅行者のほとんどが、ここを訪れるのであろう。
真冬の、まだ日も登っていない早朝。
やっぱり無愛想な店員が対応してくれる。
ホステルに移動しチェックインを待つ間、壁にあった掲示板を眺めていると、
道中のバスで知り合った日本人女性が、オーロラツアーを発見する。
やっぱり光の少ない=町から離れた場所のほうが見やすいとのことで、
その日の夜のツアーを早速申し込んだ。
当時の主にとっては、C$60は大きかったのだが…命の危険を言われては仕方がない。
食料の調達がてら時間潰しに町に出てみたものの、このホワイトホース。
本当に小さい、活気があまり感じられない町である。
大きめの通りが東西に4本伸びるだけで、北側には空港のある丘。
南側には、気温のほうが低いために湯気が立つユーコン川。
そして何より驚いたのが、昼過ぎに宿を出たにもかかわらず、少しするとすでに夕日。
この時期のホワイトホースの日の出は午前9時過ぎ、日の入りは15時頃だった。
こういったことでも新鮮で楽しんでいたであろう主は、暇を持て余しつつ夜を待った。
2005年12月12日 21:40
ツアーガイドが宿にピックアップに来る。
持っていた服を全部着込んではいたが、それでも足りないと言われる。
上下の防寒着を借り、上6枚下4枚と着込んだ後、車に乗り込んだ。
風もなく、気温は低いものの寒くは無い
30分ほど車に揺られ、町外れの山の中で降ろされる。
街灯などあるはずもなく、気持ち整地された林の中を歩いていく。
持たされた提灯と月明かりの中、10分ほど歩くと山小屋が見えてきた。
どうやらそこが拠点となるらしい。
中で温かいコーヒーを飲みながら、オーロラについて説明を受ける。
どうやら、この先の川沿いでオーロラを待つとのこと。
この暖かい小屋の中いてもオーロラを見ることはできない、と早速出発。
カナダ人ガイドに「いつここに来たの?」と聞かれ「tommorow」と答えながら川を目指すと、先を歩いていた3人組の女性陣が突然騒ぎだした。
遠くの空に、薄っすらだが緑がかった光。
その光は間も無く消えてしまったが、どうやらオーロラだったらしい。
愚かにも写真に収めようとした主は、それがそうだとは認識できなかった。
残ったのは、ブレてかろうじて緑色がわかる程度の画像。
ー
この経験から、「カメラの前に目で見ろ!」という考えになりました。
これはダイビングでももちろん同じ。
自然は待ってくれない。
その次の瞬間に、それがまだある保証なんてない。
必死になって写真に収めても。
記憶に残るのは、ファインダー越し画面越しの世界だけになってしまいかねません。
ー
焚き火を囲み、マシュマロを頬張る同行者たちを横目に空を見上げていた。
多くの流れ星が流れ、オーロラを見るにはよろしくないほどに一行を照らす満月。
「一応見るには見れたから」と満足はしていた。
証拠となる画像もあるにはある。
そしてツアーは終わりを迎えようとしていた。
再度現れた光
2005年12月13日 深夜1時ごろ
「もうぼちぼち帰ろうか」と帰り支度を始める。
騒いでいた3人組は、前日も参加していたのだが見れなかった。
なので少しでも見ることができたこの夜は、そらもう大変な喜びよう。
「明日また参加してみるかな」なんて思いながら、立ち上がり顔をあげたその視線の先。
北方の山の上空。
3時間前に見たものより、遥かに明るく、鮮やかに輝く光の帯。
緑、場所によっては白や赤、虹のような線。
そしてその光は、風にゆられるカーテンのように動いて見えた。
「ええ加減帰るよ!」とガイドに言われるほど、長い時間現れていた。
一行から溢れ出た喜び、感嘆の声、あとなぜか聞こえる叫び声。
こうして、オーロラは主の記憶に残ることになった。
それは14年経った今でも変わらずに。
見ることができたのはこの夜だけ、だが良い出会いもあったこの町
「バナナで釘打てるんか試してみたい」と一晩放置してみるものの、
翌日は0℃まで気温があがってしまい凍らなかった。
寒さがマシということで、夜には歩いていける範囲で町から離れてみる。
が、3夜滞在した中でみることができたのは初日だけだった。
ー
この町で、谷角靖さんという写真家の方と出会いました。
そこでオーロラのこと、ユーコン川をカヌーで下れること。
ルート66やグランドキャニオンのこと。
パタゴニアのこと、そこから行くことのできる南極の氷河のこと。
今でもバケツリストに入っている、たくさんのことを聞かせていただきました。
もちろん本人は覚えていらっしゃらないでしょうが、
旅中の多くの出会いの中でも、大きく心に残っている出会いです。
これを書くにあたり検索をしてみると、もちろん今も活動されているようです。
当時はただのネコ好きのおっさんとしか思ってませんでしたが…
そして。
ネコおっさんと呼んでいましたが、すでに当時の靖さんの年齢を超えた主でした。
ー
何も無いこの町を気に入った主。
滞在を延長しようとも考えたが、バスが週2便しかないために泣く泣く断念。
12月16日、エドモントンへ戻る30時間の車内。
「そろそろバンクーバーに戻る日程考えないと」と考えたとき、
旅の終わりが見え、少し寂しくなった主であった。
そして10年の時が過ぎて
帰国中は必ず録画してでもみていた、唯一のテレビ番組。
このときは、車窓にスイスの景色が流れていた。
「あれ?俺、ここに辿りつかずに死んでしまうかも」
それがオーロラ第二章。
そして中学校以来の親子旅に繋がっていく。
少し遡り、2005年の夏。
この旅の計画をしながら、大阪で仕事をしていた。
ある日、大阪市役所にお使いを頼まれた主は、北浜駅から大川にかかる橋を渡る途中。
汚い川沿いのベンチに、コックコートを着たままベンチで本を読む男にふと目がいった。
「久しぶりやん!何してんの!?」と声を掛けた相手こそ、あの男。
主をバリ島に連れていき、この道を進むキッカケを作った人物だった。
嬉しそうにカナダに行く計画を話す当時の主。
それを聞き、「うらやましかった」「なんか悔しかった」と後に語る、
旅を中断し、料理の道に進もうと決めた当時の友人。
そして今、同じような気持ちを抱き始めた主。
そんな友人も、今や二児の父親でレストランの料理長。
今でも、何かあったら助言を求めにいく相手である。
そんなこんなで次回、オーロラ第二章
『おかんと行く北欧、ノルウェー10日間の旅』
お下がりのデジカメを持ったおかん、その写真に写っていたものは…