ミクロネシアへの渡航制限がかかって早1 ヶ月。
解除されるどころか、さらに2週間の延長となりました。

パラオやらサイパンやら、フィリピンやらタイやらと代案を考えてもみましたがウィルスを撒き散らすわけにもいかず、2020年春のダイブトリップはキャンセルに。


数年後に改めてこの文を見て、「そんなことあったなー」と笑えたらいいんですが…



それはそれと、ここ最近面白い来店が続けてありました。
その会話の中で、改めて出会いや繋がりは面白いなと。


今回は2011年、初めてアフリカ大陸を歩き、そして3週間を過ごしたダハブの地。
主にとっても色々と思い出深い、8年以上前のお話。

もちろんテーマは『縁』。

行きべきではないが、行けてしまう地

いつからかは定かではない。
ただ毎日、滞在している安宿でネットのニュースを追っていた。


2010年、チュニジアから始まった『アラブの春』と呼ばれる反政府運動。
2011年よりアフリカ大陸北部の国々、そして中東へと広がり各地で騒乱が起き、
2020年現在もシリアの内戦が続いている。

当初は「遠い地で大変なことが起こってる」とくらいにしか考えていなかった主。
だが思わぬきっかけからこの年の夏にヨーロッパに飛び、トルコを目指して南下していく中、この先のルートとして意識をし初めていた。



– Istanbul, Republic of Turkey –
正午すぎだったと思う。

ブルガリア・ソフィアで列車が運休のため、仕方なく乗り込んだバスが到着。
そして、バス会社のオフィスの窓に書かれている文字が目に入ってくる。

『Iran』
『Iraq』
『Syria』

「ここから行けてしまうんやな」という思いが込み上げてくる。
そして嫌でも「この先を進むには、大きな危険が伴う」と思わせるに十分だった。


2週間ほどこのトルコには滞在していたが、
なんとかここから南下できるタイミングやルートはないか、とずっと考えていた。

シリアの首都ダマスカスや都市アレッポでは武力衝突が頻発している。
迂回するようにシリアの東部を南下するにしても、隣の国はイラク。

初めてしっかりと『戦争』と認識したのが、2003年のイラク戦争。
主がちょうど旅を始めたころであり、多くの事があった地。


無茶はできない。
現状では陸路での移動はリスクが大きすぎる。

そう判断し、ある程度落ち着いているとの情報があったエジプト・カイロに飛んだ。


宿から見える路地は、活気に溢れていた

思いの外落ち着いている街、しかし燻る火種

– Cairo, Arab Republic of Egypt –

未だにちゃんと発音できない国名、エジプト。

最初の関門は、アラビア文字圏での数字の表記。
これがわからなければ、というよりわかっていても目的のバスを探すのに困る。


「政権崩壊後、デモや衝突は続いているが最近は落ち着いている」

到着日の夜、宿にいた年配の日本人女性からそう聞いた。
また観光も「今なら問題ない」とも。


実際、主がエジプトに滞在していた1ヶ月ほどの間、大きな動きはなかった。

…たった数日間の差だったのだが。


スフィンクスが見つめる先には、KFCとピザハット


エジプトといえば?と問われると、ほぼ全ての人間が最初に思い浮かべるであろう場所。
もちろん主も、翌日そこへ行くつもりでいた。


しかしその夜、宿のソファで酒を飲みながら数人と話をしていると、一人が言う。
「ピラミッドの中に入れるけど、暗い上に何もない。別料金だし行くだけ無駄だ」と。


一番嫌いなタイプであった。


元々、今から経験しようという相手に対して、自分の経験を伝えることが好きではない。
まあ、話の中で自らの感想を伝えることは悪いことではない。


だが、その人物は続けて言う。
「だから俺は入らなかった」と。


価値があるかどうかを決めていいのは、それを経験したことのある人間だけ。
それまでも、それから今でもそう思っている。


書いているうちに思い出して、腹がたってきた。

そいつがどんな顔だったかも、どんな声だったかも覚えてはいないが。



翌日、カメラを没収され、いくらかの料金を払って入ったその中は、
当時の主にとってただただじっとりとした暗い通路を通り、真っ暗の部屋に石棺があっただけ。

特別面白い場所ではなかった。



だが主は知っている。

そこは、特別面白い場所ではなかったことを。


今では逆に、もう一度行きしっかりと見てみたい

ただ自分がそこにいて、そいつがそこに来ただけ

日本人の好きな、「世界三大なんちゃら」のなんちゃらに入ると言われるエジプト人。
もちろん入らない人間もいるだろうが、この日はイライラしながら宿に帰ってきた。


宿に帰ると年配の女性が、帰りの遅い主ためにコロッケを作ってくれていた。
いや、宿のみんなに振舞うために作ってくれただけなんだが…わざわざ残しておいてくれた。


久々に『家庭の味』を楽しんでいるところに、若い日本人の男が宿に入ってきた。


「誰か、明日からの砂漠ツアーに参加しませんか?」


上の階の宿に滞在している日本人らしかった。
そしてまた、この出会いがこのエジプトの旅の行く末を決めることとなる。


ピラミッドは、街のすぐとなりにある

10年後に続く縁

5月のイベントに向け、オリジナルカクテルを考えることになったのですが。

さてどうしたもんかと悩んでいたところ、ふとオーストラリアで一緒に住んでいた、
札幌出身の友人がバーマンだということを思い出したんです。


しかし、相談メールでも送ってみようかと思っていた矢先、本人がScuBarに来店。
今その友人も関西で仕事をしているとはいえ、えらいタイミングでと話をしておりました。


そしてその2日後。

早朝のニュースで、ムバラク元大統領が亡くなったとの報。
「2011年のアラブの春で〜」とアナウンサーが読み上げており、「あぁ、そういえばこの時期やったな、エジプトに行ってたのは」と考えながらいると。

その日の夜、エジプト・ダハブで知り合い旅を共にした友人が、
関西出張で東京から来たと、これまた来店。


今回の話を始めたきっかけがこれでした。


以前にも書いたとは思いますが、本当に面白いもので。
そういった人間が尋ねてくる前には、何か前触れがあるもんですね。

ただみんなサプライズが好きなのか、一切連絡無しに来るんで困っております。
主の心を乱さないでください。


…まあ、「今度行くわ」と言う人ほど来てくれないんですがね…


人や場所、タイミングなど多くの縁に恵まれた場所。
そして今も続く繋がりが始まったエジプト。

次回も続きます。