「バリに2ヶ月行くから、お前も後からけーへん?」
ターニングポイントはいつだった?と聞かれて、皆さんはいつを思い浮かべますか?
学生時代?それとも社会人になってから?
何かを始めた日、もしくは何かを終えた日。
もちろん1度ではなく、数度経験している方も多いと思います。
主にとっては、これが良くも悪くも(?)自身を大きく方向転換させる言葉でした。
18歳の春、日韓W杯の直前。
当時「卒業したらアメリカに行く」と考え、学校をサボってバイトの日々を送っていた。
奇しくもこのバイト先の面々が、当時も今も自分に大きく影響を与える人達。
元バックパッカーで各地を旅した経験を持ち、主に飲食の仕事を教えた人物。
バーテンダーとして働き、お酒に詳しい先輩。
9歳上なのに、主より若く見られたスノーボード好きのヤツ。
そして上の発言を残し、バリに2ヶ月サーフィンをしに行った連れ。
2000年代前半、カフェブームの当時。
共通するのは、皆いずれ自分の店を持ちたいと言っていたこと。
もちろん主自身もいつかそうしようかな?と、なんとなくではあるが思っていた。
「なんとなくお前やったら来そうな気がした」
数年後に、「あの時なんで俺を誘った?」と聞くとそう返してきた。
もちろん、海外に行った経験などない。
パスポートも無い、フライトチケットの取り方も知らない。
英語なんか話せるわけがない。
だが悩んだ記憶は一切無い、即答で「行く」と言ったと思う。
もちろん「アメリカに行きたい」と思っていたことも、大きく影響していた。
未成年のため、母親にサインをしてもらい5年のパスポートを取得。
さらに旅行代理店に行き、「バリへのチケットをください」と。
直行便を使えばいいものを、安いからとグアム経由を選んだ当時の主。
慣れた今でこそ平気だが、経由5時間待ちの便を後々後悔。
ホームセンターで2,000円くらいのスーツケースを買い、準備を進める。
正確には、この旅はバックパッキングではなかったのかもしれない。
もう20年弱も前の話だが、詳細に覚えているもので。
それほど主にとって、大きな出来事だった。
21:30 デンパサール空港到着。そして誰もいない。
この旅から10年後、wi-fiの普及により格段に便利になった。
時間を使って情報を仕入れる必要が無くなり、より有効的に使える。
だがその反面、旅に物足りなさを感じたのも事実。
しかしこの当時にwi-fiなどあるはずもなく、インターネットカフェすらもあまりない。
更に、日本語が使えるPCが海外には少なかった。
そのため、現地に行った連れからの連絡はあって週に1回。
「何日の何時到着便で行く」と出発数日前に送るものの、返信はなかった。
不安が無かったはずは無いと思う。
ただそれ以上に、「自分で決めてどこかに行く」ということに興奮していた。
新しくなる前、旧デンパサール空港に到着し、荷物を受け取り税関を抜ける。
扉を出ると東南アジア独特の匂いがし、ベタながらも「異国に来たんやな」と。
現地人ガイド達のお迎えの中、数人の日本人らしき人間を目にし、自分を迎えに来てくれてるであろう人物を探す。
…
10分ほど経つと皆目的の人間と合流し、車やタクシーに乗り込んで行く。
しかし自身の目的の人間は見当たらない。
もしかしたらメールを読んでないのか?と考えたときには、相当焦っていた。
宿取ってないけどどうする?って言われてどうせい言うねん!
「タクシー?」っていう声を無視し続け、ゴロゴロ言わせて駐車場を行ったりきたり。
この時どんな顔してたんやろ?と考えると、ちょっと微笑ましい。
30分ほど経ったとき、向こうからなんかの紙を掲げながら来る人物が。
「ウェルカムボード書いてたら遅れてもた!しかも寝過ごしたし!」
本来ならど突きたいところだが、安堵からか泣きそうになりながら抱きついたような…
こうして主の旅が始まった…
腹が減っていても近くのレストランがもう閉店していたり、
まさかの宿を手配してくれていないという事態もあったが、
ひと段落して、連れと彼女さんの部屋でお土産の缶コーヒーを渡す。
「めっちゃうまいわ!」って言いながら飲みほしてくれて、ホッとしたところに。
「これ食べてみる?」と差し出されたものとは…
これが主のキッカケ。今に繋がる最初の最初。
もちろん、3週間の滞在で何も起きないはずはなく。
・流されてボートに助けられる、そのときに主が発した言葉は…
・スパで男2人、ハイビスカスの浮かぶバスタブに入る
・先に帰国の途につく連れと彼女さん、空港で主と別れた後に待ち受けていたこととは?
などなど多くのお話がありますが、それはまたいずれ。
時間はかかったが、今は誰かの背中を押す側になった主。
キッカケってのは、どこにあるかわからない。