バックパッカーたちの会話で使われる言葉に、『沈没』というものがあります。


とある土地に滞在中、居心地が良いからかどんどん日が経っていく。
特に何をするわけでなく、毎日好きな時間に起き、いつものところで食事をする。
そして日が沈む頃、安く買ってきた酒を呷り内容の無い会話を楽しむ。

そうしていうるうちに、次の町に移動するのも億劫になる。

傍から見れば、何のためにそこにいるのか全くわからない。
むしろ、その本人ですら良くわかっていない。

数週間から数ヶ月、数年といった強者まで。


タイ・バンコクのカオサンや、ガンジス川の流れるインド・バラナシなど。
そこに『沈没』するバックパッカーは少なくありません。


そして、今回の舞台。
エジプト・ダハブもそんな土地。

『目的もなく、ただ滞在している』のが沈没であれば、少し違うかも。
ただ、約1ヶ月もいた主もまた、そこで『沈没』していたのだと思います。

毛布に包まり朝日を待つ

シナイ山山頂、日が登るのを待つ。



「もう帰ろうよ…」

登り始めて約3時間後、疲れもかなり出てきていた。
それでも、少しでも良い場所で朝日を見ようと歩を進める一向。

そんな中で発せられたこの言葉に、総ツッコミが入ったのは言うまでもない。



『恋するダハブ』

多くのバックパッカーが沈没させられる土地。
そして、世界でも有数のダイビングスポット。


先行した忍者に遅れること2日、新婚夫婦と主はこの町に到着した。
もちろん目的はダイビングだったのだが、この町にはもう一つ大きな観光地がある。

それがシナイ山。
諸説あるが、モーセが十戒を授かったとされる場所。


深夜出発をするこのツアーは、参加者さえ集まれば毎日開催されていたようだが、
標高2,000mを超えるため、ダイビングをしたその日には登ることができない。

そのため、ダイビングを始める前に参加することに。


草木も生えない、砂漠地帯の岩山。
登山道も足場が悪いところが多い。



深夜に迎えにきたバンに乗り込み、まずは標高約1,500mの聖カタリナ修道院へ。
ここが山頂へと続く階段を登り始める場所であった。

もちろん街灯など無い。
階段なのか岩場なのかわからないところを、渡された懐中電灯で照らし登っていく。


時期としては10月末。
日中暑いとはいえ、夜も深まり、そして標高が高くなるにつれ、気温は下がる。

途中休憩を挟んでいたのだが、じっとしていると逆に身体が冷えてしまう。
また、結構な人数が日の出を見るために山頂へ向かっていくため、
少しでも良い場所でと考えた主を含む一行は、休憩もそこそこに進んでいった。


幸い、8名ほどで参加したのだが、1人を除き、皆体力には自信があるほうであった。
その1人が、上の言葉を発した人物であるのはもちろんのこと。


毛布に包まりウトウトしていると、誰かが声を上げた。
登る太陽、そして照らされた光景に息を飲んだ。



このシナイ山に限ったことでは無いのだが、行く予定の方は本当に注意してもらいたい。
前回も少し話した通り、山登りに慣れている人間でもケガをしてしまうほどの山道。

そして、捻挫と診断されて1ヶ月動けなかった友人。
その直後に一時帰国し、改めて受診した際の診断は骨折だったそう。


そら、そんな簡単に治らないわけで…

ダハブ周辺でのダイビング

この日は波が高く、エントリーとエキジットは大変。
だが水中は非常に穏やかで、無事6人はAOWの認定を受けた。



ダハブでのダイビングの情報は、主よりも詳しい人が大勢います。
なので、ダイブサイトなどに関して主が書くことはありません。


ですが、この海の魅力の一つが『ダイビングを始める場所として最適』なのかなと。
「旅中にダイビングを始めるなら、タオ島かダハブか」とも言われているそうです。


2つの場所に共通する点としては、『講習を含むダイビング料金が安い』、
そして『宿や食事など、滞在費も安い』。


またこのダハブは、町自体が海に面しているため、ビーチからすぐエントリーできる。
そして透明度も高いことが多く、流れも強くない海況。

そういった面でも、ストレスが少なく講習が受けられる様に思いました。


もちろん、ダイブサイトも魅力が詰まったポイントが多いので、ファンダイバーも充分に楽しめる海です。


さらに、『沈没』する人間が多いということは…
カフェやレストランなども多く、スーパーや商店でアルコールも安く買えます。

主たちの宿にはキッチンがあったので、夜は自炊しておりました。



ただ注意点というか、難点というのが…

宿の水道、シャワーが海水混じりなこと。
深夜にもかかわらずシャワー室で、「全然落ちひん!」と叫ぶサラダ油まみれの男3人。


ダハブといえばブルーホール。
多くのフリーダイバーもそこを楽しんでいた。

紅海でのダイビングといえば

第二次世界大戦真っ只中の1941年10月6日。
イギリス海軍の運搬船であったSS Thistlegormは、シナイ半島南端沖にて、ドイツ軍の空爆により沈没。

これにより4名の海兵隊員と、5名のイギリス海軍の砲撃手が亡くなった。


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Thistlegorm Wreck

漁礁として、またダイビングのスポットとして廃船を沈めることはありますが、
ここに沈むこの船は、その名の通り沈没船。


ダイバーの中には、こういった沈没船でのダイビングを好まない方もいます。
理由はもちろん、そこで亡くなった人がいて、悲しい歴史があるから。


ですがそういった事実を知り、目で見ておくことも大事ではないのかなと思います。

そして、その場所が新しい命の住処になっていると知ることも。

これまで色んな海で潜りましたが、非常に記憶に残っている場所です。


運搬中であった当時の車やバイク。
そして砲弾までそのまま沈んでいる。

世界Top10に入る沈船ダイブサイトなのだが…

この場所も、ダハブからのツアーがあります。
上の理由もあり非常に興味深い場所ですので、機会があれば絶対に行ってもらいたい。

…のですが、これは声を最大にして言わせていただきます。


「軽い気持ちで参加できるダイブサイトではありません」


比較的水深が深い場所に潜る必要がある。
透明度が悪く、流れの強い場合ももちろんある。

ポイントによっては潜航ロープが無く、強い流れの中でエントリーし、フリー潜航。
さらにほとんどのチームが、船の内部(頭上が閉じられた空間)に入って行く。

ガイドはもちろんエジプト人が多いため、英語でのコミュニケーションが必要。


そして、これはエジプトに限らず世界中でそうなのですが、

「安全管理はガイドにしてもらうものではなく、ダイバー自身でするもの」です。

特に『日本国外』では、事前に確認する書類で、「何かあっても、スタッフとショップに一切の非はありません」という文言にサインをします。


沈みゆくフィン。
ダイビング中に外れたのか、船上から落としたのか。



このThistlegorm Wreckは、しっかりとしたスキルや知識、経験が求められる。
でないと、簡単に事故が起こってしまう環境です。

主としては、まだまだダイビングに自信のない方、ましてダハブで講習を終えたばかりの、十数本しか経験していないダイバーが行くには危険性が高いと感じます。


というのも、実際に主が潜っていたその日、参加していた別の日本人チームが、ほんの少しでも違っていたら重大な事故になり得る事態を起こしていました。

ただ一番怖いのは、その事態に本人たちが全く気づいていなかったことなんです。


もちろんこの時も、潜る前にブリーフィングがあり、どういったダイビングをするのか、どこに気を付けるべきなのか、何が見どころなのかを伝えられていました。

普段軽く聞き流しているかもしれませんが、安全管理はもちろん、楽しむためにもブリーフィングでの話は非常に大事な情報なんです。



とはいえ、行くなだの難しいだのと言っていても仕方がありません。
何より主自身が、皆さんにもぜひ行ってもらいたい場所です。

まずは講習を受けたり一緒に潜った現地のインストラクターに、相談してみてください。
そのときの状況や環境に合わせて、判断してくれるはずです。


帰りは山を超える必要があり、麓の町で時間を潰す必要があった。
くれぐれもドライバーに、「早く帰らせろ!」と迫らないように。

ここでの出会いが、インストラクターの道にも繋る

そんなこんなで、ダハブには1ヶ月ほど滞在しておりました。

やはり忍者は初めてのダイビングも上手くこなし、
そのバディとして講習を受けていた人物は驚異の3人殺しを体現。

パーティには油谷さんが現れ、足をケガした彼も無事ダイバーとなりと、
多くの縁と共に、たくさんの思い出ができた土地となりました。


そして。


カイロで別れた彼を引き取り、さらにこの地で出会った夫婦をも加え、ヨルダン、そしてイスラエルに向かう一行。

この大所帯の旅でも中々と色んな事件が起き。
さらにダハブの出発日前後と、後のネパール・アンナプルナが繋がることとなります。



旅人としてではない、もう一つの縁。

ここでお世話になったインストラクター。
主がインストラクターになろうか悩んでいたときに相談に乗り、後に師匠となるコースダイレクターを紹介してくれた人物です。

主のマニラ暴走事件の被害者のもう一人でもあります…



ここでは書ききれないくらいの出会いがあったエジプト編、今回で一旦終了。


次回は旅日記ではなく、違ったことをテーマに。
数年来抱いていた謎が解けたというのもありますので…


現代版「水遁の術」…なのか?